『暗い部屋』(「暗い部屋」制作委員会)

暗い部屋

暗い部屋

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胸糞悪いと言うよりは物悲しいというか救いがないというか。心の中に意図的に空白地帯を作らせる感じです。そこに『暗い部屋』という作品の感想があるはずなんだけれども、なんつーか言葉にならないというか、ぽっかりと言うほど大きくはないがぽこりと開いた空白と、そこにその空白があるという圧迫感だけが残ります。思えば瀬戸口廉也作品をやるといつもこんな感じで、具体的に言葉になる感想を得たことがあまりないです。こういうのを楽しめる作家は私的に唯一無二なので、その点はこのままの方向性で進んで欲しいなぁ、と思います。
最初に押し寄せてくるのは圧倒的な目に見えない感覚というか言葉にならない心への圧迫と言うか。自分の主観的なところに訴えかけてくる作品で、客観的にどうこう言えないんですよね……言葉にするとどうも違和感が拭えないけど、作品処女を奪われた状態の感覚を繋ぎ止めておく、あるいは思い出すきっかけにするために以下記述。

不安というか不安定というか、物語の中のそういった暗い雰囲気が心に伝染する。とは言え、スクリーン(とあえて言おう)の中で起こった出来事が自分の身に起こるわけではないので、文章から漏れる登場人物たちの言い知れない不安定さだけが伝わってきて、返ってそれが引きずられるように続きを読ませる要因になっていると言うか。

私個人としては、この作品を楽しむのに、粗筋には何の意味もないと思っています。なぜならそこから立ち上ってくる登場人物の感情なり感覚なり(非常に乱暴な言い方をしてしまえば人生)を感じることが肝要であって、所謂粗筋とかストーリーといったものは根底にだけ流れていれば十分だと思うからです。筋書きを読んだって意味がない。寧ろ筋書きだけで言えば陳腐とすら言えるかもしれない。自分の人生の一部分をストーリーにしたって、ちゃんとした筋書きなんてないし、あったとしてそこには何の意味もないと思うんですが、それに近いかな。そこに生きることが全てであって、それを客観的に記述したって一番大事なものが抜け落ちてしまってるわけですから。
ただ、それだけに非常に人を選ぶ内容になってることは間違いないです。いわば「Don't think feel」で、感じたものが微妙ならばその人の感想は「微妙」の一言で終わってしまう。間違っても商業と言うか、この手の作品でご飯は食べることは考えられないでしょう。合わなかったら「合わない」で片付けられてしまう、そういうタイプの作品です。
制作者が変に意図とかを持たせていない(あるいは感じさせない)ところには、非常に好感が持てました。

前評判を一切排除しようと努めていたので、どのくらいでこの作品が終わるのか分からなかったのですが、今思えばその状態でプレイして良かったなぁ、と。登場人物たちは皆「ここが物語(=自分の人生)の一区切り」なんて見えないわけで、そういう感覚を登場人物たちと共有することがこの作品を楽しむための最低ラインなのかもしれないなぁ、とぼんやりと感じました。
余談ですが、映画とかアニメを見る時によく思うのが、時間やクールが区切られているせいか、物語の起承転結を嗅ぎ取ることが比較的簡単だな、ってことで、それが作品に没頭させることを個人的に困難にさせているんですね(まぁそういう意味では小説とかゲームの方が相性が良いです)。

客観的なことを一つだけ言えば、瀬戸口廉也作品は肝心の『SWAN SONG』(Le.Chocolat )をやってないのでアレですが、ゲーム用に作った作品ではないなぁと思いました。ゲーム向けのストーリーのメリハリみたいなのが廃されていて(まぁ最初は小説向けに書いていたはずだから当然か)、その分『PSYCHE』とかに近い印象ですね。